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![]() パリ、モンパルナスからTGVで一時間半、中世の色合い残る古都ポワティエへ。 松ぼっくりの塔がなんともかわいいノートルダム・ド・ラ・グランド教会。 ![]() ![]() 教会のまわりでは何とも嬉しいサプライズ、小さな蚤の市が。 ![]() サン・ピエール大聖堂。 ![]() ![]() そしてサン・ピエール大聖堂の隣にあるサン・ジャン礼拝堂は4世紀半ばに建てられたフランス最古の礼拝堂。 あたたかな陽射しの降り注ぐ芝生で開場まで暫しのスケッチ。 ![]() 内陣のフレスコの時を経たやさしい色合い、それでいてそこに確かな感触をもって存在しているその空間に、かつて見た南イタリア、オートラントの教会を思い出す。 ![]() ほとんど人のいない路地から路地を散歩し、家々の古びた扉や植木に目を止め、のどかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ日。 トイレが限界で飛び込んだ小さなオープンカフェ、すぐ近くでは工事中で決してすばらしい環境とは言えなかったけれど、午後の太陽を浴びて飲むシードルがしみわたる。シエスタのすこし間延びしたような空気のなかで、ああヨーロッパに来ているんだという実感がふつふつと湧いてきて、懐かしさがぐんとこみ上げる。 # by ai-viaggio | 2011-04-03 19:12
![]() ケブランリ−美術館へ。ここにはアフリカ、アジア、アメリカ、オセアニアの民族衣装や装飾品、遺跡など約3500点が展示されている。 ![]() ![]() ![]() 見るもの見るものが面白くてわくわくする。迷路のように入り組んだ館内で人が多く、かなり暗かったのでほとんどスケッチできなかったのが残念。民族の放つ大きなエネルギーを感じる。造形のふかさ。どの民族にも共通する執拗な文様はひたすらの祈りのようにもみえる。とてもシンプルでまっすぐ。それらは人に向かってつくられたものではないのだなあ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ポンピドゥーセンターにていろいろ見るも、ぐっとつかまれたのはジャコメッティだけ。 やっぱり、このひと大好きだ、と思う。 凝縮されたもの。 ただそこにあるという感じがする。 ぐっと根が生えている。 ![]() シテ島にあるゴシック建築の教会堂サントシャペルへ。 キリストのかぶった荊の冠や十字架のかけらが納められていると言われているサントシャペルは建物自体が聖遺物を納める箱だという。 驚くべき繊細なステンドグラス。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() セーヌ川はなぜだかとても女性的な感じがする。 ![]() ノートルダム寺院 ![]() ![]() そしてノートルダムの向かい岸にあるシャルボネ本店にてインクを買う。トランクの重量制限を気にしながらそれでも6kg分。 銅版画をつくる人ならほとんどの人がお世話になっているであろう老舗。 ただ値段は思ったほど安くなく、インク一缶につき日本で手に入れるより500〜1000円安かったかな。私も店員さんもものすごくたどたどしい英語で、それでもなんとか通じるものなんだなあ。最後はシャルボネ社のニードルをプレゼントしていただく。 F.CHARBONNEL 13 Quai Montebello 最寄り駅:サン・ミッシェル ![]() ![]() ミケランジェロ”瀕死の奴隷” ![]() フラ・アンジェリコ ![]() ![]() ルーブルではこんな風景もよく見かける。ルーブルでの授業なんて素敵です。 ![]() 模写する人。 ここからの三点は私にとって特に心に残った珠玉の三点。 ![]() とにかく膨大な数が展示されているルーブル美術館。このような美術館で展示を見る際、私は多くの作品を見るということはしない。まず、部屋から部屋へと早足で歩き回りながら気配を感じる、といえばいいのだろうか。見るというよりは声をきくような感じ。そうして、呼び止められた作品とゆっくりと時間を過ごす。 誰もいない14世紀のフランス彫刻の部屋、光の射し込む窓辺の横にひっそりとした微笑みのようなもの。 少し物淋しそうな、俯き加減でいながらどこか清らかな遠くを見つめているような佇まいに思わず足がとまる。遠くとは彼自身の中なのかもしれない。スケッチをしながら感じた白の世界。それはこの少年の世界なのか、作家がみていた風景なのか、私のなかにあるものなのか。 ![]() そして10年ぶりに出会ったサモトラケのニケ。 ニケはやはり特別の彫像である。 初めて出会った時と何ひとつ変わらぬ衝撃、 階段を一段一段踏みしめて近づく度に胸が高鳴り、ホールを満たす空気の揺れに軽い目眩を憶える。 ニケは確かに風のなかにいる。下から天に吹き上げるような風を纏っている。 ![]() 一時間とすこし、ニケを描かせてもらう。至福の時間。 会えてうれしかった。きっとまたいつか。 ![]() 最後にドゥノン翼を入ってすぐ右、イタリア彫刻の部屋を入ってすぐのところにある、素朴でいて仏像のような木彫りの彫刻。 一日歩き回り、スケッチをして疲れきった夜、この作品の前で静かな時間を過ごした。 手は創り込まれている訳ではなく直線的だが、そこから滲みでるものはどこまでもやわらかく無音の音を紡いでいるようにもみえた。 ホテルに着くなりベッドに倒れこんで眠った夜。 心にのこったものは3点とも彫刻だったのだなあ。 ![]() 早朝のパリ。 ![]() モンパルナスのホテルを出て周辺を散歩。 営業前のカフェ。パリの灯、パリらしい風景。 ![]() エドガー・キネの市場、 真っ赤に熟れたトマトとアーティーチョーク。 これを見るとヨーロッパに来たなあという実感が湧いてくる。 ![]() ![]() Alberobelloではトンガリ屋根の家(トゥルッリという)に泊まってみたいなあと、ホテルはTrulli holidayに。ここでは町のはしっこにある受付にゆき、鍵をもらってトゥルッリ一軒をまるごと貸してもらえる。私たちは2名利用の一番小さなタイプを借りることに。後はホテルの人(といっても私服の気さくなお兄ちゃんでとっても感じがよい人)と会う機会もあまりなく、何かあったら電話してね〜と携帯番号を渡された。8月のハイシーズンでも一泊二人で80euro。 朝食は近くのバールに行って食べさせてもらう。コルネット(クロワッサン)とオレンジジュース、ヨーグルト、コーヒー。毎日外で食べる朝食はとてもおいしかった。 ![]() コンパクトな部屋のなかに素敵な家具が整っている。 ![]() ベッドにあおむけになって屋根の裏を眺めると不思議な気分になった。 ![]() アルベロベッロから電車に揺られてほんの15分ほど、隣町のロコロトンドへ遊びに行く。ロコロトンド、丸い場所というその名の通り旧市街は小さな円を描くように家がまるく立ち並んでいる。小さな丘の上にたつこの町からはところどころに固まって立つトンガリ屋根の家やオリーブ畑の波立つイオニアの谷をみおろすことができた。
![]() アーチをくぐり町の中に入ると ![]() そこはまるで小さな白の迷宮。 ![]() ![]() 眩しい白と家々の間から抜ける真っ青な空。 ![]() ![]() どの家の前にもよく手入れされた花の植木鉢、その色鮮やかさが際立って視界に飛び込んでくる。 ![]() このあたりではレース編みが伝統工芸として有名で、時々玄関先の椅子に腰掛けて黙々とレースを編んでいるおばあちゃんを見かけた。少し生成りがかった糸、蜘蛛の巣のように細かく、ところどころに不規則なところもあるそのレースに、ふりつもった時間と南イタリアの朴訥な風土を感じた。 ![]() il tempo ritrovato、もう一度みつけられた時間という意味のちいさなレースのお店にて母に星形のレース(ポプリ入り)を買った。 列車は小さな町を抜け、オリーブ畑を走りすこしずつ見えてきた!トンガリ屋根の集落Alberobelloへ。 アルベロベッロ、舌を噛みそうな名前の町、観光地としても有名でアルベロベッロは素敵な木の意。 この石組みの屋根は接着剤も何もなく、平たい石を積み重ねているだけ。これを作れる人もずいぶん少なくなったよう。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 現実感がないような時間の流れ方。 のーんびりゆったりと、頭もぽかーとなるような空気。 レッチェの治安や緊張感と比べると同じ南イタリアと到底思えない。 半日あれば歩きまわれる小さなアルベロベッロの町の道はあっという間に頭に入る。灼熱の太陽の下をそぞろ歩き、ジェラート屋に駆け込み木陰で休む、そのくりかえし。 旅はまだまだ中盤。身体を休める。きもちを休める。 小さな雑念は泡のようにはじけて頭がカラッポになってゆく。 ああ南イタリアの太陽。 ![]() 夕方になるとおじいもおばあもおっちゃんおばちゃん皆それぞれのベンチを出してきて、どの木の下にも人が生っている。おしゃべりする人、ボードゲームに興じる人、ただ何をするでもなくひたすら往来をぼーっと眺める人。何時間も何時間もおなじようにそういう毎日を過ごしている素朴な人たち。 ![]() ![]() 宿の前に庭風のベルベデーレ(眺めのよい場)があってお気に入りの場所になった。 暮れゆくアルベロベッロの町をただゆったり感じる。 豊かさとは いつもここにあるものだ。 アルベロベッロだからあるのではない。 それを教えてくれた町。 ![]() ![]() オートラントに来たかったのは海もそうだけれど、何かの雑誌でみたある教会が心に留まり、足を運んでみたかったからだった。 路地を抜け、小さな広場にあらわれたサンピエトロ教会は予想していたよりも小さく、あたたかだった。内陣のフレスコは剥落しているも、鮮やかな色を残しており、顔の表情はもう見てとれない聖母子は全体をもってどこまでもやわらかく空間を抱いているようだった。 海の季節が過ぎれば人の波は一気に引き、きっとどこか寂しく静かな町であろうオートラント、決して裕福ではない素朴なこの土地にふかく根をおろしていると感じた、忘れられぬ石の教会。 ![]() ![]() ![]()
イタリア最南東の町オートラントの海は老若男女犬猫鳥魚あらゆるもののそれぞれの時間で満ちていた。寝転びゆっくり太陽を浴びる者、ボートでどこかに繰り出そうとする者、ビーチバレーに興じる者、沖の方をバタフライで横切る者・・・
そして、自分がそこに居合わせる不思議を強く感じた時間。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() レッチェ駅にて切符を購入し、駅員からかえってきたお釣りが細かい硬貨ばかりで一瞬いくらなのかわからない。ちゃんと数えなおしてみると6ユーロも少ない。駅員の前は長蛇の列だけれど怯んではいられない。駅員はあっさりと一度釣り銭を回収し、ごめんごめんと言いながらまた新たに細かい硬貨を渡してくる。その場で数えると今度は4ユーロ少ない!拙いイタリア語でとにかく言えるだけのことを言ってみる。そしてやっと正当なお釣りが手元に。
これが南イタリアの洗礼!?もうヴェネツィアのようにぼーっとしていられない。背後でさっきの駅員に対して同じように怒っている外国人の声を聞きながらワクワクしてくる。 オートラント行きのバスは猛スピードでオリーブ畑をすり抜けた。運転手は音楽をかけながらノリノリ。あちらこちらで鳴り響く携帯の音と奇声。誰かが運賃について運転手ともめはじめる。段々車内の人全員がそれに参加。解決しようというよりはそれぞれが勝手に言いたいことを言っているだけなので普通ならば一瞬で終わるような話がまとまらずエンドレス・・・ ああ、これぞイタリアに来たなあという実感。(笑) ![]() Otranto ヴェネツィアからレッチェへの移動は過酷だった。
朝8時過ぎにヴェネツィアを出発し、レッチェ着は19時頃。 何度かの乗り換えを経てとにかくひたすら電車に揺られ続けた一日。 しかも、電車の切符をとるのが遅かった私たちは一等料金の切符で席なし(もしどこかの席が空けばどこでも座っていいという条件で)という状態。南へ下るバカンスシーズンの列車は笑顔の人でひしめき合っており、席が空くということはほとんど無く、私たちは大半を列車の連結付近で過ごすこととなった。 それでも、列車が南下するに従って、時々左手に見えるアドリア海の青さと眩しい光に心が踊り、レッチェに着く頃にはヴェネツィアの感傷は遠くなっていた。 イタリアの北、中部と南、その空気の違いに改めて驚く。 ![]() ![]() ![]() ![]() ヴェネツィアを去る日。 メストレに向かう車窓の中、ヴェネツィアが小さくなってゆくのをただ眺めていた。 新しい美術館ができたからかすっかり様子の変わったザッテレ周辺、それでも変わらない路地からの眺め、アカデミア周辺の古いアンティークビーズの鈍い光、ダ・アルベルトのほっぺが落ちそうな魚介のフリット、何往復したことだろうサン・ポーロ広場を突っ切る通り、新しくみつけた美術書が安い古本屋、地図さえ見なければどんな時でも迷うことができる入り組んだせまい路地、いつも静かな気持ちに包まれるゲットー、観光客に水彩の風景画を売っていたあの子・・・。水平に散らばるささやかな記憶が、少しずつ遠ざかる距離と共に重層的につもってゆき私の中のヴェネツィアをつくっていく。 ![]() ![]() 水上の結婚式。 水に生まれ、水の上で縁を結び、水に臥す。 水の都が数多の人にとってどこか懐かしいのは、人のもつ水が呼応しているからかもしれないとふと思う。水のように人もまた流れ流れて。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ヴェネツィアンガラスの島ムラーノ島へ。 教会のシャンデリアも豪華、ムラーノガラス! 間近で見る職人技は熱気のなか鮮やか。 ![]() ![]() ![]() ![]() ヴェネツィア・ビエンナーレ、現地で見ることを楽しみにしていたが、全くわからなかったというのが正直な感想。 これがひとつのアートの現状として知ることはできるけれど、数少ないいくつかの作品を除いて自分にとって通う言葉はそこになく、心が止まってしまったかのように動かなかった。そこにはどうしようもない自我や孤立が渦巻いており、見終わったあとはただ、やるせなさのようなものが重くのしかかっていた。 しかし、その重苦しい気持ちを吹き飛ばしてくれたのがパラッツォ・フォルトゥニーの展覧会、In-Finitumだった。In-Finitumとは無限、そして未完という意。作家たちの苦悩とそれぞれの鉱脈に向かう飽くなき探究心、未知なるものにぶつかっていく勇気とエネルギーに満ち満ちた、忘れられない展覧会。こんな展覧会を見たかった。今までありそうでなかった素晴らしい企画。 キーファー、ジャコメッティ、ブッリ、セザンヌ、モランディ、ロスコー、ヴィオラからイサムノグチ、楽吉左衛門までジャンルを問わず古今東西あらゆる作家たちの共演は、時が刻まれた石造りのフォルトゥニー館で圧巻の空間を立ち上げていた。 展覧会サイトにて展示風景が少し見られます。 展覧会レビューについてはこちらのブログが素晴らしいです。→トスカーナ「進行中」 ![]() ![]() ![]() ヴェネツィアで泊まっていたカ・ドーロ近くのB&B。 運河沿いの部屋は値がはるのであきらめていたけれど、バスルームの窓を開けたら下は運河だった。 朝起きて歯を磨きながら、首をつきだして静かな裏通りの運河を眺める至福。 どこからかモーター音が聞こえてきて、野菜や荷物を積んだボートが行き交いはじめ、人々が挨拶をかわす。 少しずつ町全体がざわめきはじめ、ヴェネツィアが目覚めていく時間にわくわくした。 ![]() ![]() ![]() ヴェネツィア、フォンダメンテ・ヌォーヴェ近くにあるジャンニの版工房。 年代物のプレス機もまだまだ現役で、棚の上の埃をかぶったワイン瓶といい、 インクの匂いに包まれた工房の空気が好きでこれまでも何度か訪れていた。 今まではハガキを買うくらいしかできなかったけれど、 母からのプレゼントで今回ここで念願の名刺をつくることに。 職業毎にいろんなデザインがあり、私はもちろん筆、パレットと絵具モチーフのもの。 できあがりまで3日ほど待ってほんと素敵な名刺ができあがりました。 ![]() ![]() サバのいた書店の前に立てた時は胸が高鳴った。 本当にここが存在していたんだという不思議な気持ちに満たされた。 サバを追った須賀敦子さん。 そして私もここに来てしまった。 埃をかぶった古い本たちのなんて居心地よさそうなこと。 そこにはサバの頃から、ずっと紡がれてきた時間がふりつもっていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ヴェネツィアから日帰りでトリエステに足を延ばした。 詩人サバの町トリエステ。 彼の詩にある通りを歩き、彼のいた町の空気に触れてみたかった。 トリエステはサバの詩から受ける印象よりずっと都会的で人も車も多かった。 観光客はほとんどおらず、標識などもなく、山の上の聖堂につづく道を見つけるために、坂だらけのジグザグの道を何度登っては降りただろう。 やっとたどりついた聖堂の前から見おろすトリエステの町は、水平線に浮かぶ船を望み、それはいくつか国の血が混ざり合った、サバの詩にも少し似た印象を受けた。 サバを知らなかったら来ることはなかったであろう町トリエステ。 もし来たとしても通り過ぎていたであろう町。 サバを通してほんの少しだけだけれど、トリエステという土地が背負ってきた哀しい輪郭を感じた。 *ウンベルト・サバ イタリアの詩人。1883年トリエステで生まれた。母親がユダヤ系であり、誕生以前に父親が出奔したため、不幸な幼年時代を送った。中等教育を修了せぬままに就職したが、第一次大戦後、晩年にいたるまで郷里で古書店を経営した。最初『わが処女詩集』(1903)を自費出版するが、『詩集』(1911)により『ヴォーチェ』誌に認められる。次いで『軽くて漂うものたち』(1920)を、1921年には、『愛ゆえの棘』およびそれまでの作品を網羅して『カンツォニエーレ』を出版したが、エルメティズモの純粋詩が主流を占めてゆく時代の風潮に迎えられず、ごく一部の評者に認められただけであった。第二次大戦後、独自の詩学の展開のうえに編集しなおした第二の『カンツォニエーレ』(1948、決定版1961)を発表するに及んで名声が確立した。平明な口語による自伝的・物語的要素を素材とし、これを伝統的な詩法を巧妙に駆使して、透明な音楽性に支えられた詩行に変え、虚構化してゆくサバの手法は他に類がなく、モンターレと並んで20世紀イタリア最大の詩人といわれる。〔須賀敦子記『ウンベルト・サバ詩集』〕 *Triesete トリエステ(Trieste, スロベニア語 Trst, ドイツ語 Triest, ラテン語 TergesteまたはTergestum)は、イタリアの都市。スロベニアとの国境に位置し、スロベニアの都市コペル(イタリア名カポディストリア)と接する。トリエステ自治県の県庁所在地であり、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州の州都である。アドリア海に面し、イタリア海軍の基地がおかれる。〔wikiトリエステの歴史〕 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 何度行ってもVeneziaを終われないのはなぜだろうか。 これからもイタリアに行く度、やっぱりここに来るだろうか。 Veneziaは確かに水鏡のようにその人を映す。 路地の奥に漂う哀しくて、でも決して冷たくはない温度、 それは数多の観光客が立ち去る時に残してきてしまった想いなのか この町にしみついた過去の歴史のせいなのか、 結局私は今回も潔くこの町を立ち去ることができなかった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 石づくりの建物の穴という穴に棲む鳥たち。 家々のベランダから垂れ下がる多肉植物や手入れの行き届いた鉢植え。 老人たちの井戸端会議。 Montalcinoに似て、丘の海の上に立つ孤独な小さな町Pienzaのあたたかくてしんとした空気を吸う。 ![]() ![]() ワインで名高いMontalcino。 あっという間にひとまわりできてしまう小さな小さな町はよく陽のあたる丘の上にあった。
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